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徳島地方裁判所 昭和41年(タ)15号 判決 1967年1月21日

原告 山水静子<仮名>

原告 山水澄夫<仮名>

右両名訴訟代理人弁護士 島内保夫

被告 徳島地方検察庁検事正 岡谷良文

主文

原告両名がいずれも本籍○○県○○郡○○町○○番地亡上野弘<仮名・以下関係人すべて仮名>の子であることを認知する。

訴訟費用は国庫の負担とする。

事実

原告両名訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、その請求の原因として、

「原告両名の母訴外山水キミコは、かつて主文第一項掲記の亡上野弘が○○市○○町で経営していた浴場で働いていた際同人と懇ろとなって情交を継続しているうち同人の子を懐姙し、昭和一九年一〇月一二日原告山水静子を、昭和二二年一〇月五日原告山水澄夫をそれぞれ分娩した。しかるに、右上野弘は、原告両名を認知することなく昭和四一年五月頃死亡した。よって、原告両名がいずれも右上野弘の子であることの認知を求めるため本訴に及んだ。」

と述べ、立証≪省略≫

被告は、「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、答弁として、「原告等主張の請求原因事実は全部知らない。」と述べ、立証≪省略≫

理由

≪証拠省略≫によると、訴外山水キミコは、昭和一九年一〇月一二日原告静子、昭和二二年一〇月五日原告澄夫をそれぞれ分娩したことが認められる。

そこで、原告両名と主文第一項掲記の亡上野弘との間に親子関係が存在するか否やについて按ずるに、≪証拠省略≫を総合すると、

(一)  上野弘(明治四〇年五月一日生、以下弘という。)は、戦時中妻春枝と共に○○市○○町に居住し、同所において浴場「○○」湯を経営する傍ら同市○○町において○○業を営んでいたのであるが、山水キミコ(大正一一年二月一九日生、以下キミコという。)は、昭和一八年三月頃、訴外野田秋子の世話で、右浴場「○○」湯の従業員として弘に雇われ、右野田秋子と共に同浴場で働いていたこと、

(二)  ところが、間もなく弘とキミコが懇ろとなって、同年七月頃から、弘が同市○○○丁目の某所有家屋を賃借してキミコを同所に住まわせるようになり、爾来、弘は、キミコに生計費を与えて生活させると共に自宅からキミコの右住居にしばしば通って情交し、自己の妻や母にそのことが知れて強く反対されながらも、その関係を続けていたこと、

(三)  かくするうち、キミコは懐姙し、前記認定のとおり昭和一九年一〇月一二日原告静子を出産したのであるが、同原告の名は弘において命名したものであること、

(四)  その後、昭和二〇年七月○○市が戦災を受けて間もなく、弘夫婦は○○市から○○県○○町に疎開したのであるが、右疎開後も弘とキミコの情交関係が続き、前記認定のとおりキミコは昭和二二年一〇月五日原告澄夫を出産したこと、

(五)  ところで、戦後弘の生活が苦しくなったため、次第に弘からキミコへの仕送りも途絶えるようになり、両者間の右の如き関係は昭和二三年以後自然消滅の形となったが、その間、キミコの姉の夫である訴外川野冬雄が、原告静子を抱え且つ同澄夫を姙娠中であったキミコ親子の生活難やその将来を慮り、昭和二二年五月頃弘に対し「キミコと別れるなり、子供を引取るなりして、不自然な関係を清算してくれ、キミコや子供をどのようにする考えなのか。」という趣旨のことを話したところ、弘は、「そのうち必ず○○市に帰るから、それまですまないが子供等の面倒をみていてくれ」と云い、更に右川野冬雄が、同年七月頃○○町に弘を訪ね、同人に対し、キミコが原告澄夫の出産を控えてその費用の調達にも困っているのでなんとかしてほしい旨談判したところ、弘は、「いま金がなく自分の生活も苦しいから暫らく待ってくれ、キミコの着物を売ってでも食いつないでいてほしい、親としての責任は必ず果たすから。」と哀願し、なお、原告澄夫が出生した後、同年一〇月下旬ないし一一月上旬頃その入籍問題について交渉した際にも、「そのうち親としての責任は必ず果たすから暫らく待ってくれ。」という弘の返事で、弘は、原告静子、同澄夫が自分の子であることを肯定していたこと、

(六)  また、昭和二三年頃、弘の従兄弟である訴外上野一郎が、前記川野冬雄からの依頼により弘に対し子供(原告両名)のことについて適当な措置を行なうように話した際も、弘は、その二人の子が自分の子であることを肯定し、「妻の手前があるから暫らく待ってほしい。」旨を述べていたこと、

(七)  弘は、その後昭和二七年頃○○市に出て上野一郎の工場で働いたり、パチンコ屋の経営等をしていたが思わしくなく、負債を残したまま昭和二九年に妻と共に××方面に行方をくらましていたところ、昭和四一年四月二一日頃××市で他人に殺害され、結局原告両名を認知しないまま死亡したこと、

(八)  原告両名と弘とは容貌等にも似た点があること、

(九)  キミコが、原告両名を出産する前には、弘以外の男性と情交関係があったような事実は認められないこと、

等の事実が認められ、

(十)  更に、≪証拠省略≫によれば、弘の血液型はABO式でO型、原告両名及びキミコのそれはいずれもABO式でB型であることが認められるから、弘と原告両名との間に血液型の上の背馳はないものと認められ、

以上の認定を左右するに足りる証拠はない。

以上認定の事実を総合すれば、キミコは、弘との情交の結果、原告両名をそれぞれ懐姙し出産したものであり、従って、原告両名はいずれも弘の子であると認めるのが相当である。

もっとも、前記≪証拠省略≫によれば、キミコは昭和二五年七月二四日訴外山水夏雄(大正一四年九月二二日生)と婚姻したこと、そして山水夏雄は同日原告両名を認知する旨の届出をしたため戸籍上右山水夏雄が原告両名の父と記載せられていたことが認められるが、≪証拠省略≫によれば、昭和四一年七月二五日○○家庭裁判所において、右山水夏雄と原告両名との間にそれぞれ父子関係は存在しないことを確認する旨の審判がなされ、同年八月一一日右審判が確定したこと、そして右審判の確定により同年八月一八日戸籍上右認知の記載及び山水夏雄を原告両名の父とする記載がそれぞれ消除されたことが認められるから、右の認知届出がなされていたとの事実は、なんら前示認定を妨げるものではない。

よって、原告両名の本訴認知請求は理由があるからこれを認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、人事訴訟手続法第三二条第一項、第一七条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤和男 裁判官 原田三郎 山脇正道)

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